年代 | 出来事 |
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貞観時代 | 第56代清和天皇の頃(858~876) 大早魃(だいかんばつ)に作物が枯死寸前の際、農民は66カ国の一宮のご神灯と鈴をつけて雨乞いをしたとたん大雨が降った。 |
江戸時代 | だいがくは勝間村17基 |
明治時代 | だいがくは6基 |
大正時代 | だいがくは5基 |
昭和3年 | 昭和天皇御大典に「だいがく」3基担ぐ |
昭和12年 | 国道26号線開業を祝って「だいがく」3~4基でる。 |
昭和19年 | 当時の保管約岡本宗治氏が自社の岡山飛行場建設に伴って「だいがく」を岡山に持って行き、そのまま農家に預けて終戦を迎える |
昭和27年 | 「だいがく」が地元に戻り、生根神社に奉納され、以降昭和35年頃迄、毎年担ぐ |
昭和36・7年 | だんだん担げなくなり神社境内に据え置くだけになってゆく |
昭和46年 | 「だいがく音頭保存会」発足 |
昭和47年 | 「玉出のだいがく」が有形文化財民俗資料として初の指定を受ける(3月) 「だいがく保存会」発足、「中だいがく」文化財実物の半分で担げるものを製作 生根神社の夏祭で「だいがく」が11年ぶりに担がれる 「玉神会」(だいがくを担ぐ人の会)発足 |
昭和48年 | 第2回「ふるさとの心 日本の祭」参加 万博広場:浜村 淳さんが司会者 |
昭和49年 | 「美の祭典」に参加 甲子園球場 |
昭和50年 | 浜村 淳さんの「だいがく祭り」奉仕が始まる(今年で38年目) |
昭和52年 | 「子供だいがく」が45年ぶり復活 藤山寛美さんが朝日テレビ系「藤山寛美3600秒」のロケで生根神社を舞台に夏祭シーンを収録 |
昭和58年 | 「大阪築城400年祭」だいがくを担ぐ 大阪城西の九庭園 |
平成2年 | 「大阪御堂筋パレード」出場 |
平成13年 | 文化庁「ふるさと文化再興事業」実施 心棒・担ぎ棒新調、太鼓の革張替、調査報告書・報告ビデオ作成など |
平成14年 | 「生青会」発足 夏祭に「子供だいがく」が「生青会」によって担がれる 以降、毎年生根神社の夏祭りで生青会が奉仕し子供だいがくを担ぐ 「子供だいがく」が「近畿・北陸ブロック「民俗芸能大会」」出演 |
平成15年 | 「3号(ギャル)だいがく」を製作 |
平成16年 | 女性だけで「だいがく」を担ぐ「ギャルだいがく担ぎ行事」が行なわれる |
平成21年 | 生青会が「日本のまつり2009鳥取」に出演し「子供だいがく」担ぐ |
平成22年 | 文化庁より「地域伝統文化総合活性化事業」の採択を受け、担い棒の新調を行う 浜村 淳さんより、奉仕35年の記念に「いざうたえ だいがく音頭に 夏の月」の歌を奉納される 生根神社境内の石碑にする |
平成23年 | 引き続き「地域伝統文化総合活性化事業」の採択を受け「だいがく音頭JDVD作成、ひげこを新調する |
平成24年 | 生青会が岸和田で「第5回摂河泉の神賑わい」に特別出演する 「だいがく」文化財指定40周年記念祭を開催する
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平成27年 | 平成27年4月3日、文化財「だいがく」に加え「板絵彩色玉出のだいがく祭礼図」2面が大阪府指定有形文化財に指定されました。 |